Presented by Yumegurance

津軽海峡の防備として、半島の先端に要塞を建設するために、海軍の警備府が置かれていた大湊から大間を通り奥戸まで建設が計画された国鉄大間線。戦時色が濃くなった昭和13年に途中の桑畑までが第二期工事区間とされ、昭和16年10月の時点では残り5kmほどを残して竣功していたという。が、昭和17年に突如予算が半減され、翌18年には工事中止が突如発表されることになる。こうして、軍部主導による大間線建設の時代は、敗戦と共に終わりを迎えることになる。

そんな大間線の沿線最大の遺構が「大間鉄道アーチ橋メモリアルロード」と名前を変えた13連アーチ橋だが、実はもう一つ、地元に密着した形で残されている。
下風呂公民館の駐車場にある小屋のような建物、これは下風呂の温泉街と設置される予定だった下風呂駅とを結ぶ連絡通路の跡で、今では凍結した急坂を通らなくてもいいようにきちんと整備されている。地域の住民の悲願であった鉄道は走らなかったけど、こうして今でも住民の役に立っているのは感慨深い。

温泉街と駅を結ぶはずだった階段の他にも旧国道から山側の温泉街へと上ってゆく道を跨ぐように建っているボックスカルバートも大間線の遺された遺構である。このボックスカルバートの上も現在は使われている。

なお「大間鉄道」という名称は後に取ってつけたような名称で正式には「旧国鉄大間線」と言うのが正しい名称である。

現在「大間鉄道アーチ橋 メモリアルロード」として整備され、保存されている13連アーチ橋の上には線路をイメージしたブロックが埋め込まれ、一部レールが敷設され、線路跡がイメージしやすいように復元されている。このレールは当時から残されていたものではなく、後に整備された際新しく敷設されたものである。建設工事が突然中止された昭和18年は南方戦線の戦況が悪化し始め、建設資材も困窮を極めた。大間線に敷設された線路は剥がされタイ・ビルマの鉄道敷設のために使われたという。

メモリアルロードの上に作られた駅のホーム状の建築物の上には下風呂温泉では珍しい「海辺地2号」源泉を引き込んだ足湯が設置されている。源泉の特徴として、泉色が墨汁の様に黒く見える時があるが、これは決して温泉が汚れているわけではない。温泉に含有している物質が硫黄と反応して硫化して黒くなると言われている。

「下風呂温泉にお越しいただいたお客様に気持ちよく足湯を堪能してもらいたい」との思いから、下風呂温泉旅館組合おかみの会のメンバーで清掃を実施し、きれいな足湯が管理されている。入浴しながら津軽海峡や北海道恵山岬を望むことができる。足湯を楽しめるのは4月下旬〜10月下旬位までで、誰でも無料で入浴できる。

橋の上からは下風呂温泉街が見下ろせ、津軽海峡や天気が良ければ対岸の北海道の恵山岬まで望むことが出来る。もし鉄道が開通していたら車窓からこんな景色が楽しめたかもしれないと思いを馳せてみるのもいいかもしれない。ただ、こんな素晴らしい景色が楽しめる背景には「タコ部屋」と呼ばれた社会的弱者への監禁的な強制労働によって賄われていたと言うことも忘れてはならない負の歴史である。

by ゴロー

現在の「いで湯坂」にあるボックスカルパート上よりメモリアルロード方向を望む景色(2001年撮影)。この頃はまだ未舗装で生活臭がぷんぷんに漂っていました。まだグレーに塗装する前のコンクリート橋が景色にマッチしています。今の色はちょっとどぎついかな?

by T-K