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大湯の開湯に関わるお寺です。大湯共同浴場のすぐ脇にあり、温泉街の中心に位置しています。大湯の源泉湧出の際に、お湯の中から出てきた薬師如来像を祀ってあるということです。詳しくは次回(2019年春)に住職さんにインタビューしてきたいと思います。


むつ市の住職さんが毎週足繁く通っていて、しっかり手入れされています。


夕暮れ時に明かりが灯る稲荷参道と自由寺、そして大湯共同浴場。

by T-K

2019年3月に自由寺の住職さんにお会いして実際に取材してきました。

<自由寺の歴史>

1753年に現在のまるほん旅館裏手にある物置小屋を大安寺(大畑)仮のお堂として設置したのが始まりと言われている。そのころから、大湯の目の前にあることから「温泉庵」や「自由庵」と呼ばれていた。
1882年に現在の場所に移し、昭和17年に自由寺として正式に寺院となった。
昭和54年に建て替えられ、現在に至っている。


こちらが自由寺の本堂。ここにある如来像は以下紹介する像ではない。

<自由寺にある薬師如来像>

大湯から出てきたといういわれをもつ薬師如来像について確認をとったところ、実は自由寺には薬師如来像が2つあるということだった。一つは銅製のもので、もう一つが木製のものだ。


薬師如来像は本堂の右横の奥に進むとある。


もっと近寄ってみるとこんな感じだ。

銅製のものは、本体が70cmほどのもので、もともと京都妙心寺の大道尚安が1687年に下北半島に布教活動に訪れた際に立ち寄ったこの下風呂の地に、翌年稲荷神社に寄進という形で作られて贈られたもの。明治5年に神社を管理していた菊地氏が還俗したのを機に、薬師如来像が自由庵へと移されたのだという。

木製のものも、本体が70cmほどのもの。1685年に地下から掘り出されたものだという。しばらくは別の場所に保管されていたのだが、大正6年に自由庵へ奉納された。

自由寺というネーミングが面白いと思って調べ始めたのだが、実はこの寺は下風呂温泉の歴史を考えていく上では非常に重要なキーポイントとなっていることがわかる。気軽に立ち寄れるお寺さんということで親しみを込めて呼ばれた「自由庵」から始まったこの寺は、きっとこれからも下風呂温泉の地域を守り続けていくのだろう。

現在、新共同浴場の浴舎の建設が始まっている。今まで大湯の場所は源泉湧出地のすぐ横にあり、下風呂という集落の中心としてその役割を担ってきた。現浴舎は平屋であるが、その前の浴舎は2階建てのモダンな建築物で2階部分が集会所として使われていた。お祭りの太鼓の練習や地域の寄り合い、そして入学式には大湯の前で記念写真を撮る。そんな風習が根付いていた。自由寺に奉納されている薬師如来像も長い年月この大湯を見下ろし下風呂温泉を見守ってきた。若宮稲荷例大祭も大湯前でクライマックスを迎える。もし、新共同浴場の完成に伴ってこの大湯浴舎が取り壊されることになれば、今までこの大湯を中心として昔から成り立っていた下風呂の生活や信仰の大枠を崩してしまうのではないだろうか。今一度、大湯浴舎、新湯浴舎の活用方法を考えてもらいたい。

by T-K